「常に刺激的で感動出来る1日を。」

思った事、気になった事、体験した事を素直に書くブログ。

久しぶりの更新。

みなさんこんばんは。永井です。

随分と久しぶりの更新になってしまいました。

7月からとても忙しく、ブログを書く体力がありませんでした笑(言い訳)

これからも自分のペースになりますが、更新していきますのでよろしくお願いします^^

 

さて、私事ですが、8月11日で21歳になりました^^

8月11日~17日まで名古屋に滞在しておりまして、たくさんの方に祝っていただきました。

本当に有難う御座います。

 

20歳も色々な方のご協力で良い一年を過ごすことができ、21歳はいいスタートがきれたように感じます。

 

これからも突っ走っていきますので宜しくお願い致します!

                                  Atsushi.N

過去を振り返る。

こんにちは。永井です。

今回は非常に長いブログになります。

最近、とても過去について話す事が多いのです。しかし、時間が経つにつれ、あの色々な経験も無かったかのように僕の記憶から消えてしまうのです。あの嬉しかった事もあれだけ辛かった出来事も忘れてしまうのは惜しいですし、どこか自分が自分ではなくなってしまう気もします。

またこれまで経験した出来事ほとんど全てを誰にも話した事がありません。

大変見苦しいブログになりますが、自分の過去への整理と過去を生きたという証、そしてこれからの自分への希望と今まで私に関わってくれた方へ感謝しこのブログを書きます。長文ですが読んでいただけると嬉しいです。

 


・保育園
父母は私が3歳の頃に離婚して私は父側の方についた。というよりも父は負けず嫌いで、責任感が強く、何でもひとりでやってしまう気が強い人だ。
3歳のいつだったか、私が寝ていると夜中に父と母は大声で怒鳴りながら喧嘩をしていた。当時、3歳だった私は言葉もまだ覚えてなく、よく分からない言葉で父と母に何かを言い、喧嘩をやめさせようとしたのを覚えている。
母親がいなくなってからというもの、とても忙しい生活だったと思う。父は大学の講師。まだ助手であり下っ端だった。そして私を保育園まで送り迎えしなければならない。父は相当苦しかったと思う。
私は朝ごはんも早く食べ終えれず、忙しい父を毎日怒らせていた。毎日怒られていたのでこの頃から食を受け付けなくなった。

 


・小学生
小学校1年生、私は父と仲が悪くなった。原因は父は仕事のストレス、出来の悪い私へのストレスからだろう。
そして父は手を出すようになった、
朝、ご飯食べるのが遅いとこっ酷く叱られ、勉強が出来ないと殴られ、帰りの車の中で(児童館に通ってたため)今日の授業内容を全部話すという決まりがあり、それを言えないと叱られ幼い私には過酷すぎる生活だった。
いつからかご飯を毎回戻してしまうようになった。やがて父親は家から私を放り出されるようになり、汚れたTシャツでうろちょろとよく家の周りを歩いていた。たまに学校の友達に見つかるととにかく嘘をついて必死でその場を逃れていたのを覚えている。凄く恥ずかしかったし、物凄い屈辱を感じた。この頃から自分は他の家庭と比べて違うんだということに気がつき始めた。

父親の暴力も強くなり、靴べらでよく叩かれていたため、あざは全身にあった。次第に夜、放り出されることも増え、小学2年生の夏は近所の人に保護され、施設に送られた。
施設での生活はとても自分にとって居心地のよい生活ではあった。近所の方には感謝しきれないほど感謝している。
父親と離れて生活をするというのは本当に居心地がよく、勉強もよく出来た。自分が落ち着く環境があると言うのはどれだけ有難かったか。


しかしこの生活も長くは続かなく1ヶ月くらいで施設を出て父親の元に返された。
もちろん、父親とうまくいくはずなく、「死ね」「クズ」なんて言われるのは日常茶飯事であった。
小3になると雪国に引っ越すことになった。父の仕事の都合だ。相変わらず暴力を受け、そして髪の毛も刈られ、クイックルワイパーの金属部分で殴られた。あれは本当に痛かった。頭にたんこぶが5つ以上はあったし、あれで叩かれる度に、頭が痺れ、動くことが出来なかった。腕や足も叩かれ、肌も紫色から完全に青色になった。爪にもあたり、爪の部分からは血も垂れた。そんな生活しか私の記憶にはない。


小学校4年生の頃、私の父親は再婚をした。凄く愛想のいい人だと思ったが、その母親もとんでもなかった。父と新しい母の関係がうまくいかなくなると、その母親はご飯を作ってくれなくなった。
たまに作ってくれたのはおにぎりだが「餌でも与えてやる」と言われてそのおにぎりをぶつけられ、私はその床に落ちたおにぎりを必死で食べたのを覚えている。
今思うと人間の感覚ではなく、食に飢えてる動物であった。メンタルが完全に崩壊し、食も与えられないとここまで行くんだなと今思うと恐ろしく思う。
母親がいないコンプレックスがあり、切に母親が欲しいと思っていたが、その考えは一気に撤回された。
そんな環境で父と母と子供の私との関係は長くは続かなかった。ある時「自分の家庭に泥を塗られると困る」と親戚、祖父母から連絡がきて、私は祖父母の家がある愛知に引っ越した。私が引っ越した後、父と母は離婚した。愛知での生活は暴力はないけれども、拘束され、自由のきかない生活であった。「貧乏は悪。外国の子とは付き合ったらダメ。」「お前は預けられている子で自由なんてものはないんだ」そんな不平等で差別的な言葉を毎日浴びさせられながら人付き合いも制限された生活を送っていた。


・中学生
愛知の小学校を卒業して、私は雪国に帰った。理由は2つある。1つ目は家族に帰るよな?と強く強要されたこと、もう1つは帰りたくないと言ったら父親が物凄い勢いで怒るだろうと思ったからだ。場所は離れていてもやはり子供は親の顔を伺い、自分で決断できないものだ。
引っ越してからも父からの精神的プレッシャーからか、学校の成績は伸びず、むしろ落ちていくばかり。卓球部に入部したが私が大切にしていた卓球のラケットで父は私を殴り、額をパックリといったこともある。
ラケットもおられ、「勉強出来ない奴が学校に行く必要はない。」と教科書とノートを破られたのを覚えている。その頃から卓球部には行けなくなった。(ラケットを買っても買っても折られ金銭的に行くことが出来なくなった)
グチャグチャにそしてビリビリになった教科書は一生懸命セロハンテープで修正し、ノートは広告の後ろの白紙を何枚も集め、ノート代わりにした。この繰り返しだった。もちろん、クラスの人からは変な目、冷たい目で見られた。なんて言い訳したのかもう覚えてないが恥ずかしさと悔しさと心に溜まっているどろっとした感情で私はいっぱいだった。そして必死でよく分からない嘘をついた。


しかし、私に生活に小さな幸せを作ってくれた仲間がいる。大阪から転校してきた子で、その子も辛いことを経験した子であり、すぐに私達は仲良くなった。初めての親友が出来た。毎日、沢山遊び常に一緒にいた。親友の家族の方とも仲良くさせて頂き、ご飯もご馳走になった。
しかし、私の父はそれを許さなかった。そして学校に通わせてくれなくなるどころか、家まで追い出される。流石に親友に頼ることは出来なかった。と言うよりもこの屈辱的な生活をどうしても晒すことは出来なかった。
家を追い出され、1人で野宿をすることにした。雪国の真冬であったため本当に死ぬかと思った。1週間半以上を薄着でほとんど食べ物を口にせず過ごした。いわゆるプチホームレスである。ゴミも漁った。水は辛うじて神社にたまっていた水を飲んだ。この時、一気に痩せたのを覚えている。1週間経った夜、真冬で薄着であったため、夜中に寝たら凍死するだろうと考えた。私の意識は完全に朦朧とし、正常な判断もできず、精神的にもう限界が来ていた。
いつも寝どころにしていた誰も歩かない、川の近くの木と木の間で楽になりたいと思い、眠りについた。しかし、思った以上に人間の体は丈夫だ。死ななかった。この時が一番生きる事に恥じを知り、人目を気にし、自分は底辺の底辺だという事に思い知らされた時だ。死ねない悔しさと死ねなかった自分への恥が私を完全に狂わせた。この頃から自傷行為を行うようになる。


プチホームレスを終え、家に帰れるようになった。(警察に誰かが通報し、強制的に帰ることになった)たまに学校に行くとクラスの子達はいじめてくる。悪者扱いにもする。そして、教師も私を無視する。父親は学校に行かせてくれなくなる。もう自分の居場所はないと思った。
親友がいたはずなのに、大切なものがもう見えなくなっていた。


それから2ヶ月くらい経った時、小学校時代に大変よく仲良くしてくださった1つ年上の先輩が声をかけてくださった。
その人はヤクザの息子で有名だった。しかし、私は初めて自分を心の底から心配してくれる人を見たような気がして、先輩のために尽くしたいという思いで夜の世界に入った。
この話はタブーな話もあるのであまり言えないがお許しいただきたい。
夜の世界では窃盗、恐喝、暴行傷害、器物破損とにかく色んなことをやった。若きながら組織もまとめさせていただいた。
でもそこには自分を満たしてくれるものはなかった。本当の自分を殺して社会に反抗していただけだ。
いじめられていた子、施設で育った子、育児放棄され親戚の家をたらい回しにされてた子、祖父母に育てられた子、毎日親に殴られてる子、親は働かず金だけを要求される子。
そんな人達がこの世界には沢山いた。その仲間達と心の傷を一時的に補い合っていた。
光が見えない生活を送っていた時、「顔に泥を塗られると困る」という相変わらずの愛知の家族の半命令で私は転校することになった。夜の世界に入ってもこんな私を信じ、支えてくれた親友との別れ、夜の世界の仲間、先輩。色々な人との別れがとにかく辛かった。

転校後、何もかもめんどくさくなり、中学の半分は通っていなかったので勉強にもついていけず、勉強も放棄し中学の半分はただただご飯を食べ学校に行き、寝るの生活を送った。
ご飯があり布団がある生活はとても有難いはずなのに、私の心はもう生きる事に興味がなくなっていた。

 

 

・高校生
親と愛知の家族に高校は行けと言われ、必死の勉強で高校受験をし、なんとか進学することが出来た。
私の学力で通えた学校は不良の子が沢山集まる評判の悪い学校である。例えるなら分数の掛け算割り算が出来ない人もクラスに何名かいる学校である。そして暴走族もいる学校だ。
しかし、高校生活で私を大きく変える出来事があった。1つ目はなんとなくmixiというSNSをやってたところバンドの誘いがあり、バンドを組んだことである。私はギターとドラムが少し出来るため、2つのバンドをかけ持ちした。しかし、ドラムをやっていたバンドは長くは続かなかったが…(確かバンドメンバーがもめはじめて解散になったような…)


2つ目は2年生になり、数学が好きだった私は理系クラスに進み、理系クラスで仲良くなった子から部活への誘いが来た。
レスリング同好会というまだ部活にもなっていない同好会であった。私は格闘技が好きで、お金も比較的かからないためレスリング同好会に入り、一生懸命レスリングをやった。レスリングなんて初めてで怪我ばかりしていたが、他校との合同練習の時に相手に余裕な顔をされ私は惨敗したのでその悔しさもありレスリングに毎日打ち込み、みんなが帰った後もウエイトトレーニングをした。腰痛(1ヶ月のドクターストップ)、胸の骨のヒビ、膝を毎回打ち付けたため私の体はボロボロだった。しかし必死の努力で部員を集め、毎日練習に打ち込むと試合に出れるくらいまでになり、日頃の努力が実り、同好会から部に昇格した。そして顧問、部のみんなが私の努力を認めてくださって部長をやらせていただくことになった。初めて人に認められたという感覚があり、喜びを噛み締めながら部長を頑張らさせていただいた。そんな部活もあっという間に引退を迎える。好きなことに打ち込むと日が経つのは早いと感じるものだ。


私の最後の試合は県大会。結果はベスト4。とても嬉しかった。
この時に私は思った。生きることを諦めず、努力して前向きに頑張れば人は成長できる。と。
家の拘束もうまく付き合いながらもここまで結果が出すことができ好きなバンドをやり私は充実した高校生活を送れたし達成感でいっぱいだった。
第一候補にしていた大学の受験も無事、合格し、今では大好きなラジオとそしてビジネスに挑戦し、日々努力している。そして毎日に感動でき、今は何でも話せる仲間もいる。


そしてとても嫌いで恨んでいた父。私は一人暮らしをしてから父の辛さをちょっとわかった気がする。今は少しずつ父と2人の時間を作り過去の事を乗り越えようとしている。正月、父と2人で飲んだ初めてのビールが2人の距離を縮めてくれた。あのビールで私は過去を許せるような気がした。
過去を思い出し辛くなることもあり、人との価値観が違い、多々苦しむこともあるが、私は今、とても幸せだ。


私が今、幸せに生活できているのは数え切れない方のご協力で成り立っていることは言うまでもない。
あの時死んでいたら私はこんなに感動することも人に感謝することも出来ていないのだろうし、生きる喜びを感じていなかったと思う。
残念ながら日本は本物の弱者を助けてくれるという保証はない。むしろ弱者には厳しい社会だと私は感じる。

しかしどんなに辛くてもどんなに苦しくてどんなに死にたくても、あなたが生き続けることで喜びを感じ、救われる人が必ずいる。
そして罪を犯した人間でも環境に恵まれない人間でも愛を与えることが出来る。その愛で必ず救われる人がいる。
1度命を絶とうとした方、自分は死ぬべきだと考えている方、生きるということに悩みが尽きない方。その事を考えて生きて欲しい。

1人でも救われ、1人でも前向きに生きてくれる人が増えることを切に願いながら今日のブログの終わりとさせていただく。

読んでくださった方有難うございました。

 

                                   Atsushi.N

自分を表現できることの有難さ

みなさんこんにちは。永井です。

 

今日の湘南の天気は雨のうち曇り。なんとも言えない天気です。

 

梅雨の時期なので仕方ないですね^^;

 

 

さて今日は「自分を表現できることの有難さ」についてお話しようかなと思います。

 

ここ最近僕は、色々な方にお会いすることが多いです。

 

ビジネスの関係だけでなく、プライベートでも色々な方とご縁があり、仲良くさせていただいています。

 

1日1回は新規でお話させていただき、色々語らせて頂いております。

 

とても嬉しいことです。

 

 

このように自分が表現できているのはなぜでしょうか?

 

皆さんは、自分を表現できる素を考えたことがありますか?

 

ここ最近、そういうことをよく考えるのですが、僕は仲間のおかげで自分が表現できていると思っています。

 

2日前、親友と後輩と飲みに行ったときに気づかされました。

 

親友も後輩も遠慮せず、自分の意見や考えを言ってくれてとにかく嬉しかった。

 

そして自分もまた意見や考えが言える。

 

こういう仲間がいるから、自信を持って表現できるんだと思いました。

 

もし、孤独で仲間がいないと僕はきっと自分に自信を持てません。

 

たぶん、それが人は一人では生きられないという言葉につながるのかなと思いました。

 

生きられても生きた心地はしないでしょう。

 

僕は過去にいろいろ葛藤があり、そこそこ苦労を重ねたつもりです。

 

でも、その過去も力にして、みなさんに意見や考えが言えているのは、周りの方の協力と、自分のことを理解してくれている仲間がいるからです。

 

仲間には感謝してもしきれません。

 

 

みなさんは自分を表現できていますか?表現できている素はなんでしょうか?

 

一度考えていただけたら嬉しいです。

 

きっと考えることで当たり前が当たり前ではなくなり、考え方も広がると思います。

 

PS:過去のこともいつかお話させて頂きます。

 

                                                                       Atsushi.N

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気になる人との付き合い方。

みなさんこんにちは。永井です。

 

今日の湘南の天気は曇り。

 

最近梅雨入りしたにもかかわらず、雨が降らないので心配ですね。

 

今年は水不足になる可能性があると聞いています汗

 

ここ数年の気候はどうなってるんでしょうか。。今後が心配です。

 

 

さて、今日は「気になる人との付き合い方」についてお話しします。

 

みなさんは仲良くなりたいなぁと思った方とどのようにお付き合いしていますか?

 

以前数人の方から同じような質問、相談をされました。

 

これには正解がないので僕の考えを書きたいと思います^^

 

仲良くなりたい人とは相手の気持ちを考え、相手に合わせる派でしょうか?

 

それとも仲良くなりたいから自分から積極的に絡む派でしょうか?

 

 

僕は後者のほうです。

 

前者は仲良くなりたいのではなく嫌われたくないに近いのかな?と感じてしまいます。

 

僕はもともと空気を読むのが好きではありません。そして自分を隠して相手に好まれたいとも思いません。仲良くなりたい人に自分という人間を知ってもらいたいのです。

 

 

僕の大好きな歌にこんな歌詞が書かれています。

 

 

声を揃え足並み揃えて 僕の何を決めるのさ

二つに一つの答え合わせで 僕の何が決まるのさ

僕の何がわかるのさ もっと笑わせておくれ

 

イメージを思い描くの

暗いマイナスなイメージは捨ててさ

瞬間をただ駆け抜けろ

光差す方へ進めばいい

 


MONGOL800 - Love song MV 完成バージョン

 

 

MONGOL800さんのLove Songです。この曲にとても感銘を受けました。

 

僕は「自分は自分。ありのままの自分を晒し、今を後悔ないようにしよう

と思うのです。

 

 

自分を晒してたらリスクだってあります。嫌われる可能性だってあります。もしかしたら嫌われる、好まれない可能性のほうが高いかもしれません。

 

でもリスクを恐れていたら何もなりません。早かれ遅かれ必ずガタがきます。

 

 

仲良くなりたいなら素直に自分から積極的に絡み、相手を知り、そして自分のことを知ってもらう事だと思います。

 

それが僕の人と仲良くなるやり方であり、生き方です。

 

 

でも正解はないので皆さんも自分らしさを大切にして、いい付き合いを築いてくださいね^^

 

それでは今日後半楽しみましょう!

 

 

                                                                                                                              Atsushi.N

 

 

 

 

やっと体調よくなりました

皆さんこんにちは。永井です。

 

しばらく体調が悪くて休んでおりました。

 

熱が上がったり下がったり。。。久しぶりにとても辛かったです。

 

LINEやTwitterで心配してくださった方、本当にありがとうございました!

 

 

さて、今日は「情報を発信する時の責任」について話したいと思います。

 

といってもそんなに難しい内容ではないですよ^^笑

 

 

みなさんは最近仲良くなった人に自分の仲間のことを紹介、説明していますか?

 

僕はよく紹介される側なんですが、僕の周り(学校の子)はよく僕の事をこういうふうに紹介するみたいです。

 

「永井は気難しくて変わり者!ストレートで個性が強いよ!おもしろいけどね!」と。

 

僕がいない間によく紹介するみたいなんですが、僕はまだ仲良くなっていない人に変わり者、気難しい、個性強めと思われ、それがどんどん色んな人に広がるのです。

 

みなさんはよくこんな紹介はしていないでしょうか?

 

このような効果をネガティビティバイアスと言います。

 

心理学を学ばれた方はご存知かもしれません。

 

ネガティビティバイアスとは望ましい情報よりも望ましくない情報の方が情報価値が高いため、望ましくない情報で印象形成されることです。

また時間が経過しても、その印象が持続しやすいのです。

 

基本、僕は「自分は自分。自分をしっかり持っていて、僕のことを好いてくれる大切な仲間を大事にする」という主義なのであんまり気にしないです。また僕の親友は自分をしっかり持ってるので、心強くて支えてくれます。

 

それでも少しは気にします。

 

 

しかし、僕のような頑固で強めな性格じゃない人はどうでしょうか。

 

多分とても気にすると思いますし、傷つくと思います。

 

自分をしっかり待っていて逆境でも意見が言える仲間がいる人は多くはいないと思います。

 

 

今回、何が言いたいかと相手の情報を発信する時は相手のことはもちろん、言い方を考えるべきなのです。

 

言い方、その時のテンション、話の構成によって捉え方が全く違うのです。

 

自分の発言、行動にしっかり責任を持てる人はいいと思います。しかし、人間は自分に不利になるものは避けがちになる生き物です。

 

責任はそんなに軽くはないです。

 

ぜひ、皆さんももう一度考えていただけたらと思います^^

 

 

それではまた。

 

                                                                                                                             Atsushi.N

 

 

 

 

 

 

久しぶりの熱

みなさんこんにちは。永井です。

 

実は永井、2日前から風邪を引き、熱を出してしまっております。

 

普段、体調を崩すことがなかったのでとてもしんどいです汗

 

昨日も学校休んで、今日も学校を休んでしまっております。

 

小テストなければいいんですけどね汗

 

Twitterで心配してリプやDMくださった方々ありがとうございました^^

 

普段休まないので、これを機にしっかり体休ませたいと思います。

 

そして今日は19時から池袋。忙しくなります。

 

では本日も楽しみましょう^^

 

                                                                                                                              Atsushi.N

本物の充実とは

みなさんこんにちは。永井です。

 

昨日の夕方に更新をしたかったんですが、思ったよりも忙しく、バタバタしていたので深夜に更新です汗

 

 

みなさん、充実について考えたことがありますか?

 

僕は常に充実について考えています。

 

最近だと、後輩に会ったり、親友と呑みに行ったり、学校のメンバーと飲みに行ったり。

 

これも僕にとって一つの充実です。

 

 

では本物の充実とはなんでしょう。そもそも充実とは。。。

 

僕は本物の充実の決まりはないと思っていますし、人によって違うと思うんです。

 

 

しかし僕には僕なりの充実の決まりがあります。

 

僕の目指す充実とは

 

「常に刺激的で感動できる1日をおくること。」

 

そうです。僕のブログ名でもある「常に刺激的で感動できる1日を。」これこそが僕にとって最高の充実なんです。

 

怒っている時も不安な時も最後は笑っていられるようになったり、新しいことに挑戦したり、いつも歩いている道に綺麗な花が咲いてて感動したり。

 

毎日、自分に何らかの刺激を与えてそして感動させてあげることが、生きる糧になると僕は考えています。

 

みなさんも是非、自分に合う充実について考えてみてください^^

 

きっと自分にとっての充実が決まった瞬間にそれが毎日の目標にもなると思いますよ。

 

                                                                                                                             Atsushi.N